へのへのもへじ
なぜこの文字なのだろうか?
へめへめにすると可愛いし、
へめへめくしし
のほうが簡単だし顔らしくない?
なんで?
そう思ったらいてもたってもいられず
調べてみました。
前もって言いますが、
答えは見つかりませんでした!
ただ、私なりの納得の仕方をしたので
興味と時間がある人はどうぞ。
起源については長いですが、
仮説を導くために大事なので
ぜひ、読んでいただければ…
へのへのもへじの起源
もはや、この起源からあいまいなのです。
江戸の中期あたりから
なんだか書かれ始めたみたい…
そんなあいまいさ。
へのへのもへじは文字絵の一種とされているので
その文字絵の起源を掘り下げてみます。
文字絵の起源
平安時代
文字絵の起源は
平安時代の葦手絵(あしでえ)と呼ばれるもので
文字で絵を書く(文字で葦=草を表す)もの
画像引用:「平安朝絵画史」春山武松著
これを読める=貴族のステータス
であったとされます。
江戸時代
江戸時代に入り、
浮世絵・俳句の文化が盛んになる流れで
文字絵が娯楽の要素になりました。
こうして、文字絵が
遊びを目的としたものとなっていきます。
明和3年(1767年)には
江戸の人物を文字で胴体を書き
頭と手足を書き足す形で人間を
表現できる本「新文字ゑづくし」が出版
ますます庶民に広がっていきます。
他国でも似たものが
日本以外でも文字が確認されています。
韓国では李氏朝鮮時代に
儒教の美徳である
「忠信考悌礼義廉恥」の8文字で
絵文字が描かれています。
はじめは「へのへのもへの」?
はじめは京都・大阪から「へのへのもへの」で
あったものが様々に形を変え、
現在の「へのへのもへじ」と伝わったようです。
歌川広重の「新法狂字図句画」には
「へのへのもへいじ」と書かれています。
画像引用:「新法狂字図句画」より
ここで一旦整理
- 貴族のステータスが庶民の娯楽へ
- 本でも文字絵が出版された
- 京都・大阪から広がっていった
- 他国では意味のある8文字が文字絵に使われる
- 歌川広重は「へのへのもへいじ」
以上のことから、
私の仮説…
「へのへのもへじ」がこの文字である意味はない!
葦手絵は読むのが難しく、
貴族のステータスであったとありますが、
おそらく、庶民に広がった頃でも
読めないものがあったのではないか?と
歌川広重が書いたものは
上に字があるのでわかりますが
これがなければ「い」は
見逃しそうじゃないですか?
「じ」の濁点どこ?耳?
上に字が書かれていないパターンで
いろいろな人がちょっとアレンジなんかして
書いたものがいろいろと
広がっていたとしたら?
伝言ゲーム以上に
最初のものからかけ離れたものに
なるのは想像しやすいかと…
韓国の文字絵のようにみんな知っている
意味のある言葉であれば
同じように伝わったと思います。
でも、「へのへのもへじ」の始まりは
やっぱり誰かの似顔絵を
おもしろおかしく書いたものだと思うので
みんなが知っているもの、
ではなかったのではないかと。
決まった形で書かれていたとしたら
同じように全国に広まったと思いますが
絵だけが先行で、
そこから文字を読む形だとしたら…
歌川広重のも「へへののもへいじ」
とも読めるとも思いますし…
ちなみに、歌川広重は東京にいたので
伝わるまで時間がかかっていたはずです。
初めは誰かのちゃんとした名前で
顔を表現したけれども、
いろいろな人が読み違い、
読む順番を違える、を
繰り返した為に
今ある「へのへのもへじ」という
言葉に意味はなくなっているのでは?
…という結論です。
追記
鼻は絶対「く」か「し」が
いいんじゃない?と思っていましたが
歌川広重の絵を見ると
日本人の鼻は「も」がぴったりかも
なんて思いました。
歌川広重は絵がうまいなぁ…
参考文献
◆国立国会図書館
『本の万華鏡』
第6回「へのへのもじえ―文字で絵を描く」
起源とされる葦手絵、文字絵の歴史について参考にしました。
電子展示なので他の作品も気軽にリンクから読めます。
◆『絵かき遊び考』加古里子
へのへのもへじの伝播について参考にさせてもらいました。
最後に
この結論はあくまでも私の仮説です。
参考文献に書かれているわけではありませんので
そこだけご注意ください。
答えを知っている方は教えて下さい。
有名なもへじさんがいたかもしれません。
でも、みんなが気軽に書く「へのへのもへじ」が
実は貴族のステータスだった葦手絵が起源というのを
知れてよかったです😀
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