芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」がありますが、
これについてよく議論されるのが
主人公カンダタは何をするのが正解だったのか?
だと思います。
何を伝えたくて、何を正解としたのか?
色々と調べると様々な意見がありますが、
私はこの話から、
こうすれば助かったんじゃないかな
という考えと、
私の生き方にも影響している部分があるので
それについての考察です!
蜘蛛の糸の状況
詳しい内容は飛ばしますが、
今回の論点の重要な部分は
”地獄に堕ちたカンダタをお釈迦様が蜘蛛の糸で
救いの手を差しのべる…
カンダタが登り始めると、地獄にいた他の人たちも
登り始め、糸が切れてしまうと思ったカンダタは
この糸は自分のものだ、おりろ、と言った瞬間に
糸は切れてしまい。カンダタは再び地獄へ…”
この部分についての考察です。
何をするのが正解だったのか?
自分のものだ!と主張しなければ
きっと登りきれたでしょう。
カンダタが登りきったあとに
蜘蛛の糸は切れてめでたしめでたし…
でも、切れてしまうかも、と
思ったカンダタは間違っていないと思います。
これが普通にロープだったら切れますもん。
私なりの考察
①みんなで仲良く登りきる策
②自分だけが登りきる策
これはどちらにしても
「このままだと切れるから、一人ずつ登ろう!」
と言えばどちらも通用するんじゃないかなと。
①の性格の良い(?)カンダタだったら
お釈迦様も途中で切るようなことしないでしょう。
では②の場合は…?
心の中では「この糸は自分のもの」と
思ったままで変わりないんじゃないか…?
お釈迦様は心の中も見通せるのだろうか?
やっていることは、
みんなが登りきるための策と同じだし。
そして、もうひとつ
地獄にいる人達みんな登ってきたらどうする?
うん、困る…
どこかの主人公なら
③自分が登ってしまえばみんなも登ってしまう…なら自分も登らない!
…的な考えしそう。
それはそれでお釈迦様助けてくれそう。
つまり、
他の人は上がらせてはいけない!という考えをして、
自分を犠牲にする人もいるんじゃないかと(カンダタはしないだろうけど)
考察まとめ
心の中(良い)×行動(良い)
これが上記の①のパターン
みんなで登りきる為に、登りきれるであろう行動をした。
心の中(悪い)×行動(良い)
これが上記の②のパターン
自分が助かるために、登りきれるであろう行動をした。
心の中(良い)×行動(悪い)
これが上記の③のパターン
地獄の人たち登らせないために、自分も助からない行動をした。
現実世界の正解は?
どれが正解なのだろうか?
きっとお釈迦様なら心の中が良いなら
助けるんだろうな、と思うけど
現実ではどうでしょう?
③のパターンでは助からない…
助けてくれる人がいないわけではないでしょうけど。
私はもっぱら②のパターンです笑
心の中で何思っても、行動が悪くなければいいんじゃない?
そう思って生きるようにしてます。
このやろー!と思いながらも行動が攻撃的じゃなければ
許されるんじゃないか。
悪口を言うのはだめだけど、心の中でくらい
悪く思ったっていいんじゃない?
と、そう思って生きています。
かなーり勝手な解釈ですが、
私は蜘蛛の糸の話からは
行動に出さなければ、心の中のことは許される!
という結論を出してみました…
発想とびすぎですかね?
何かの作品から自分なりの生き方を
探すのはおもしろいですね😊
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